昨年秋ごろから、人知れず島内外を行き来し、とある事が佳境を迎えていたのですが、
とうとう先日、それが一旦の結びを迎えました。
奇しくも、その日は私の誕生日。
思えば2013年から、とても長いミッションの終わりが、生まれた日と重なるなんて。
数年前に明らかになった、新たな体調の変化とも重なり、今まで経験したことのなかった、知ることさえなかった事柄を、たくさん目に耳に、口にしました。
どんなことでも、まさにやってみない事には何ひとつ実感できないものなのだな、と、あらためて痛感する日々。
知らなかった世界を歩き始めると、今までにない不安や恐怖心、そして新たな混乱も生まれます。
その道はとてもとても過酷に思われ、そして奇跡的で、恐ろしく現実的だとも感じました。常に前向きでいる事が、難しい、と思う時間でした。
時々思うのですが、すべての出来事は、ほんとうは奇跡的で、そして同時に当たり前なんだろうと。
可も不可もなく、幸も不幸も、すべては同じ。
どこかでそう思ってはいても、尚、心を、頭を、明るく保つことがとても難しく、精一杯な時間でした。
このミッションの終わりに、鹿児島をぐるっと1週間ほどかけて旅してきました。
結果がどうでても、と、先に旅を決めていたのです。
行ってみたかった鹿屋や垂水、それから根占や南大隅の素晴らしい景色の中を歩きました。
こんな鹿児島があったのか、と、確かに感激しました。
でも、心が付いて来ない。
なんだか、自分がロボットになってしまったような感覚。
そんな旅の中にもう一つ、初めての体験をしました。
おさいどう、と、そのおじいちゃんは言っていましたが、見える人にしか見えない何か、が見えるその方が、旅の途中でお祓いとお祈りをしてくれたのです。
遠い親戚にあたる方なのですが、たまたま近くまで行ったので、ふらっと遊びに伺ったら
「今日あなたが来るのを朝から分かっていたよ。富士山が近づいてくる夢を見たからね。」
と。
じいちゃんの話によると、
私にはどうやら、大好きなお祖母ちゃんと、光の輪を広げた大日如来のような赤いお衣装の神様が付いておられるのだそう。
そして、ロボット、になりかけていた私に、
「家族に具合の悪いところがあれば、そこにあなたの手をかざせば良くなる。あなたが共にいれば事故が起こる事もない。」
と、思わず手を合わせたくなるような、お話をしてくれました。
意気消沈している私の背景を見て、そう、言ってくれたのかな?
まだまだお役目はあるよ。
と。
心ここに在らず、なんて言っていられませんね。
旅をして
新たな一年。
またゼロから、コツコツと生きていきたいと思います。
でもその前に少し、心と体を、休息させてあげようと思います。
こういう時、やはり、ジャパ。そして呼吸法。それしかないんですよね。
神の名を繰り返す事で、ネガティブな反芻が止まる。
決まった呼吸法を淡々とこなすと、嘘のように心に平穏が訪れる。
その一瞬の平安、調和を思い出すために、
ほんとうはそれが永遠だということを知るために
一見、不幸、と思われる出来事は起こる。
きっと世の中はそうできているのでしょう。
だから、祈ります。
Hari Om